ウィルス一番星
1800年代末にメンデルが遺伝子についての基本法則を見つけ、
それ以来遺伝子というものは親から子にわたって伝わるというのが
生物学者的な常識になったわけだが、昔から「かえるの子は蛙」
という話はあったわけで、要はその原因が科学的にわかったと
いうことにすぎない。
でもそれって結構大事だけど。
ワトソンやクリックらによって、その遺伝情報を伝える物質が
DNAやRNAだったということがわかって数十年がすぎ、人間は
いろんなことを理解した、つもりになっていた。
科学における法則というものは往々にして絶対とはいえない。
例外が出た時点で新たなルールを考えねばならない。
きっかけはトウモロコシだった。
DNAのある塩基配列にはさまれた部分が、別の部分に飛んでいく
という、生殖に関係しない遺伝子の移動が発見されたのだ。
実はバーバラ・マクリントックという科学者が1951年にはすでに
その意見を提唱している。
メンデルのときもそうだったが、それから実に30年近くもスルー
されていたこの意見が、DNAの研究が進んだ結果日の当たるところに
あらわれることになった。
生物の体内で遺伝子が飛び回る、それ自体でも大概な話なのに
ウィルスを介して生物種間を飛び越えて遺伝子が移動する可能性も
あるとまでいうともはやSFの世界のような感じもする。
…だが、そのSFのような世界に俺たちは生きている。
一般にこういうウィルスをレトロウィルスと呼んだりする。
何でレトロかって言うと、DNAではなくRNAを遺伝情報として
もっているためである。
最初の生命の遺伝情報、そして生命そのものがRNAだった、という
仮説をもととしている。
かつてのウィルスがそうだったかどうかは、定かではない。
なんにしろ、レトロウィルスが生命の遺伝子の一部を取り込んで、
それをよそに持っていってしまうというのは事実だ。
とりこむためのメカニズムというのもまた信じられないものだった。
セントラルドグマという一連の生命現象、つまり
DNA→RNA→たんぱく質
という一連の流れの反対、DNA←RNAという反応を引き起こす、
逆転写酵素という物質がウィルス自らををDNAに変換する。
そして再びRNAに変えて自らを増殖させる…のだが。
ときどきドジな奴がいて自分ではなく遺伝子の一部を持って
いってしまい、遺伝子を取り込んでしまう。
そんな生物界のイレギュラーだが、人間がそれを見つけて以来
皮肉なことに生命の解析や研究に利用しまくることになった。
RNAをとってきてDNAを増やすのに使ったり、遺伝子を運ぶのに
使わせたりと酷使している。
特に遺伝子を運ばせる場合なんかはウィルス丸ごと使うわけだ。
まさかウィルスも、トラック代わりに使われるとは思って
なかったろうなあ。…ウィルスには思考能力無いけど。
運び屋としてウィルスを用いる場合、ウィルスの殻に入る分だけ
入れないといけない。過積載や空では使えない。
トラックほどの便利さは無い。
正直な話これらウィルスが限りなく低い確率で遺伝子を運ぶから、
ウィルスによって生命の変異が起きるかというと、起きる。
だからって、貞子ウィルスやTウィルスやらGウィルスには
なりえない。確率の問題があって。
ものすごい偶然、ていうか限りなく0に近い確率の偶然が
あったら存外あるかもしれないけどさ。
実際問題としちゃ何万年とかかかって起こった変異なわけだ。
遺伝子が他の生命に到達しても、その生命の大事な遺伝子
壊したら元も子もないじゃないですか、ねえ。
急いてはことを仕損じる、ってことですよ。